団地をホテルにするアート、 「サンセルフホテル」が浮かび上がらせたこと。

2014.2.18 | TEXT

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この二年間、取手アートプロジェクトの取り組みとして、郊外の団地をアートのフィールドにして活動する仕事に関わっている。そのプロセスのなかで直面したのは、この時代に何を持ってアートと呼ぶのか、それが何をもたらすのかという問題だった。

一枚の絵画や一つのオブジェによって人々が心を動かされることもある。しかし団地という日常の象徴のような場所で、何がアートたりえるのか? 建築分野ならば答えの方角は導きやすい。まずは空間を人々のために変えていけばいい。では日常の中のアートの存在意義とは? その答えの一端を「サンセルフホテル」に見た気がした。

 

「サンセルフホテル」というアートプロジェクト、それはちょっと複雑な構造をしている。アートが団地の日常の中に、じわじわ浸透していくような感じだ。サンセルフホテルの不思議なプログラムを簡単に説明する。

団地の空き部屋を、一晩だけホテルに変えるプロジェクト。これを仕掛ける作家は北澤潤、東京芸大・日比野研究室で博士課程に属している。

宿泊するゲストは公募によって選ばれた家族。それをもてなすのは団地の住人たちだ。北澤がプロジェクトの内容を団地内に告知し、それに集まった有志たちによってホテルマンのチームがつくられる。どんな人々が集まるかは偶然に委ねられている。小学生から、長年ここに住んでいる65歳まで、十数人が集まった。彼らは毎週、ワークショップを開き、どのようなホテルにするか、どんなサービスを提供するかを話し合い、誰がどんな役割を果たすかを決めていく。作家の北澤はそのきっかけはつくるが、具体的な指示はしない。参加したメンバーが自発的に動くのに寄り添っているような感じだろうか。

いつしかメンバーがそれぞれの役割を発見し、企画内容をつめていく。彼らは少しずつホテルマンになっていく。北澤は会議に出たり出なかったり、主体は作家から団地の住民にいつのまにか移ってゆく。ホテルマンとなった住民たちが手づくりで団地の部屋を客室へつくり変え、ゲストを迎え入れる日を待つ。まだ見ぬお客さんの幸せな顔を思い浮かべながら

サンセルフホテルの宿泊客は、太陽が出ている間に、特製のソーラーワゴンを引き、太陽光を追いかけて充電しなければならない。その電気のみで1泊分の電力をまかない、さらに夜、団地の真ん中にヘリウムガスバルーンの人工太陽に光を灯さなければならない。ホテルマンと宿泊客が協力し合い、自分たちの太陽をつくりあげる。日が暮れて、みんなでつくった太陽を眺める、住民とお客さんとの、何ともいえない一体感を感じる時間が訪れる。

この奇妙な関係は、ゲストとホテルマンの間に独特の絆を生む。ホテルマンたちは我が団地へやってきた客人をもてなす。今までは顔見知りというだけであった住民同士だが、いつしか大きな家族のようになり、お互いの得意なことも分かり合っている。サンセルフホテルは団地の住民が団地の魅力を伝える担い手として、いきいきと活動する場になっていく。

 

作家の北澤はそのプロセスにつかず離れずコミットし続ける。その距離感が独特であり、アートたらしめている。その様子はドキュメント化され、それ自体が作品になっていく。それはクリストを思い起こさせるが、しかし作品のなかに個人が巻き込まれてく様子や、作家の作品に対する関わり方が違っている。偶然や参加者に委ねる部分がずっと大きい。

 

サンセルフホテルとは何なのか?

参加者がそれぞれの役割を「演じている」という意味で、演劇でもある。住民たちが新たな交流を始めるという意味で、コミュニティデザインという見方もできる。団地をホテルへ一時的にコンバージョンしているのは、建築としても示唆的だ。サンセルフホテルはそのすべてであり、どの領域でも捉えられない。捉えられないからこそアートなのかもしれない。

今、アートの位置づけや、それが持つメッセージも変化している。妻有や瀬戸内のように、自然や地方の風景のなかで生まれるアートもある。今でもアートマーケットは健在で、高値で取引される作品もある。デザインや音楽と融合しながらエンタエイメントを帯びる場合もある。

今、アートが持つインパクトとは何なのか。僕らは、社会は、時代は、何をアートに求めるのか。サンセルフホテルという作品、プロジェクト、ワークショップ、現象・・・。それは日常の一部のような作品。アートの形式はここまで流動的でもいいのかと、正直戸惑いながら見ていた。同時にアートが地域やコミュニティ、個人の生活にどんどん介入してくる様に、新しいアートの浸透力を見た。今までのアートはどちらかというとインパクトや違和感で存在感を示していたと思う。しかしこの作品はジワジワと日常のなかに入り込む。

 

今度、2/28(金)千代田アーツ3331で「サンセルフホテル」を巡るシンポジウムを行うことになった。このプロジェクトの正体について考えることは、今のアートや演劇、建築、コミュニティについて考えることに繋がると思う。

「サンセルフホテル」とは、何なのだろうか。

 

申し込みや詳しい情報は下記。

http://www.toride-ap.gr.jp/news/?p=1514

西村浩の「わいわいコンテナプロジェクト」

2013.10.25 | TEXT

今、育った故郷の佐賀内市のまちづくりを始めている。建築家の 西村浩が率いるワークビジョンズ、コミュニティデザイナーの山崎亮率いるstiudio-Lとの共同プロジェクト。西村、馬場が佐賀出身である。僕は中学、高校の青春時代をこの街で過ごした。 佐賀も、他の地方都市と同じように中心市街地の空洞化が進んでいる。僕が高校生だった頃は、土曜の夜ともなると商店街は人でごったがえしていたのだが、今ではアーケードも撤去され、見る影もない。シャッター通りですらなく、建物が壊され駐車場にな り、街自体が消滅の危機にある。その勢いは止まらない。そこで僕らが呼ばれたのだ。空地化する街を新しい方法で再生するには困難であり、同時に日本じゅうの地方が抱えている課題だ。故郷なので失敗ができない。かなりのプレッシャーだ。

このプロジェクトを具体的に動かした最初の一手は、西村浩が空地にコンテナを置いたことに始まる。コンテナを置くことが街の変化の合図になった。

街にコンテナが突然出現した効果は大きかった。 コンテナのなかには、小さな雑誌の図書館、積み木がいっぱいの遊び場、カフェ、そしてチャレンジショップが入っている。芝生を有志の市民で敷きつめたことによって、ここはみんなの場所になった。何の手掛かりもなかった空き地に、コンテナというアイコンがやってきたことで、ここではいつも何かが起こっていて、なんとなく市民が集まってもいい場所に育っていった。空き地が立ち入り禁止の場所ではなく、積極的に介入可能な場所として市民に認識されると、他の空き地の変化も誘発した。ひとつ、またひとつと空き地が原っぱに変わっていっている。

かつて僕らは空き地で自由に遊んでいた。「ドラえもん」では土管がそこに転がっていて、そこが物語の中心だった。しかし現在、その隙間は街のなかに存在しなくなった。柵で覆われるか、駐車場としてアスファルトで覆ってしまい市民が介入することを 拒絶してしまった。この「わいわいコンテナプロジェクト」は、その価値観を壊す小さな一歩。

とはいいつつ、実は空き地にコンテナを置く、このとてもシンプルに見える作業は、建築基準法をクリアする作業がけっこう面倒。コンテナは建築物ではないが、長期間同じ場所に設置し、なかに人が入ることを前提にする場合は建築確認申請を通さなければならない。そのためポンと置くだけではダメで基礎をつくりボルトで固定する必要がある。建築家しかできないちょっとした工夫や、行政への調整もある。こういう役割をこなすことも建築家の仕事。

地方都市は中心市街地の空洞化が止まらない。駐車場という名の空き地が増え、風景やコミュニティが壊れている。佐賀のプロジェクトで提案しているのは、疎になってしまった場所を原っぱと捉え直し、再び子どもたちが自由に走り回れる場にすること。そのなかに点々と店や家が点在し、緑と建物が混在する新しいま ち並みをつくることだ。コンテナはそのスタートのアイコンだった。地方都市再生の試行錯誤だ。

 

*こちらの記事は季刊誌『ケトル vol.14(2013年8月23日発売)」に「馬場正尊は西村浩が広場に置いたコンテナに地方再生の鍵を見つけた」というタイトルで掲載された記事に加筆したものです。

ケトル

(文=馬場正尊)

新著『RePUBLIC/公共空間のリノベーション』で伝えたかったこと。

2013.9.10 | TEXT

RePUBLIC

 

今、僕がもっとも興味を持っているのが「公共空間」だ。

今までたくさんの住空間や仕事場、商業施設をリノベーションしてきた。前著『都市をリノベーション』では、それをまとめた文章に著した。部分の変化の集積で、いつのまにか面へ、街へ、都市へ変化が拡散していく様子を、この10年、幸いにも体感できたような気がしている。

それを経て、なかなか変わらないと感じているのが公共空間。このミッシング・ピースに取り組みたいと考え、2年くらい前から書き始めた。相変わらず筆が遅い。日常の合間に、少しずつアイデアと取材内容を書き貯めていった。

 

この本のテーマは、公共/パブリックの意味を問い直すこと。

今、公共空間が本当に「公共」として機能しているか、そもそも公共とは何なのか、公共空間とはどこなのか、この本を通し、それを問い直してみたいと考えた。

 

公共空間の在り方に違和感を感じた小さな出来事があった。

それは子どもを連れて近所の小さな公園を訪れたとき。ベンチはすでに浮浪者に占有され近づけなかった。砂場にはペットが糞をするからとネットが張ってあって遊べない。公の公園なのに、およそ開かれた空間ではなかった。おまけに「ボール遊び禁止」と看板も立っている。サッカーボールを抱えてやってきた僕ら親子は、いったいこの空間で何をやっていいのかわからず、途方に暮れるしかなかった。

僕らは公園で何をすればよかったのか。それは小さな違和感だったが、いったんその目線を持つと、公共空間のさまざまなことが気になり始める。

このような経験を通し、日本の公共空間とそれを支える公共概念について考え直したいと思うようになった。それを抽象的に問うのではなく、リノベーションを使って改善する方法を提示したい。まったく新しい公共空間をつくり直すのではなく、すでにある公共空間を少しだけリノベーションすることによって、その使い方、さらには概念までを自然に変えていきたい。小さな変化の集積が、結果的に公共という概念を問い直す流れにつながるのではないか。これがこの本の仮説だ。

 

この10年、たくさんのリノベーションを手掛けて気がついたことがある。それは、リノベーションとは単に建築の再生ではなく、価値観の変革であったということ。

人間を包む空間を変えれば、そこにいる人々の行動や気分も変わる。楽しい空間は人々をハッピーにする。その積み重ねが新しい風景をつくる。空間の変化は社会の変化を喚起するのだ。単純なことだけど、この本をつくるプロセスで改めて感じることができた。

 

僕らは政治家ではないから「公共の概念を変えよう」と声高に言っても説得力がない。建築家をはじめ、空間をつくることを仕事にしている人間ができることは結局、空間や建築で変化を起こし、理想の風景を描くことしかない。

 

本ではOpen Aが手掛けた空間の他にも、さまざまな知恵と工夫で公共空間を見事に生まれ変わらせたケーススタディと、成功のポイント、事業モデル、立ちはだかった障害などを調査した。

例えば武雄市図書館など、大胆な手法で公共施設の新しい運営を提示した例などを多数取材している。空間と方法論のヒント集のようになっている。

それらを並べて思うのは、いつの時代も社会を変えるのは確信的な楽観主義。「まあ、なんとかなるさ」とプロジェクトを起こし、障害にぶつかっては、修正や突破を繰り返しながら実現させている。はじめてみなければ、何も起きない。それを再認識した。

 

そんな気づきをくれた本、9月15日に書店に並びます。

ビジュアルとアイデアたくさん、気楽にめくってみて下さい。

 

『RePUBLIC/公共空間のリノベーション』のamazon購入ページはこちら

 

 

建築基準法の規制緩和について 副大臣に会いに行って来た。

2013.9.9 | TEXT

テレビの番組で鶴保国土交通省副大臣と一緒になり、スタジオの控室で、しつこく建築基準法の規制緩和について話したら、「わかった、今度呼ぶので、ちゃんと話そう」と言われて別れた。相手は副大臣、まあ社交辞令だろうと思っていたたら一週間後に本当に電話がかかってきた。

そういうわけで、短いメモといくつかの実例の図面と写真を持って、国土交通省の副大臣室に向かった。

室内に入ると、人がずらーっと並んでいた。「こ、この人たち何なんだろう?」、一瞬面食らった。名刺交換をすると、審議官、建築指導課、観光庁の課長など、関係各局の責任者たちが勢揃い。「こりゃ、本気だ」。さすがに緊張した。

時間もないだろうから、お礼を述べた上で間髪入れずに説明に入った。

僕が直訴しようと思ったのは、ほぼ一点。

「検査済証」なしの建物に対して、リノベーション可能な手続きルートの整備。

いろいろ言っても伝わらないと思ったし、場所が場所ので、シンプルなメッセージをズドント伝えることが大切だと思ったからだ。

 

あまり知られていないことだが、実は既存建築の半数移以上が現在、「検査済証」なしの状況。それらは確認申請を取得しているものの、完了検査を受けていない。よって「検査済証」の交付を受けていないため、正確に言えば、それ自体が手続き違反で、使用してはいけない状態にある。市民の半数以上が手続き違反の建物のなかで生活していることになる。しかし、それは放置もしくは黙認されてきた(近年、是正傾向にある)。

そのことは国土交通省も認識はしていただろう。しかし、それをまともに是正し始めると、半推移以上の建物が違法ということになり、まさにパンドラの箱を開けてしまうことになるのだ。基本的にそれを黙認していたことは、政府の賢い判断であっただろう。現実に即した、それくらいの冗長性が法律にはあっていいと、個人的には思う。

しかし、それが既存ストック再生の大きな障害になっている。

「検査済証」なしの建物自体が違法性を帯びているため、それをリノベーション・改装することも違法性を帯びることになる。これが、僕らリノベーションをする設計者や開発者にとってはおおきな足かせとなっているのだ。

そのため、大手企業(ディベロッパー、ゼネコンなど)はコンプライアンス上、「検査済証」なしの建物には手が出せない。それが既存ストック再生の大きなプレーキとなっているのは言うまでもない。

 

とくに問題になるのは「用途変更」の確認申請。建物が健全な状態にあっても「検査済証」がない、というだけで用途変更の確認申請を受け付けてくれない。結果、どんなにいいアイデアやデザインでリノベーションが可能であっても、その一点が阻害要因となり再生をあきらめた建物がどれほど多かったことか。コンプライアンスを遵守する事務所、企業であればあるほど動きにくく、それが投資を阻害している。。

僕は、できるだけ冷静にその実情を伝えた。

 

この日、おもしろかったのがその後だ。

「それを放置していたとするなら、行政の怠慢と言われても仕方がないんじゃないか」

副大臣が、かなり厳しい口調で切り出した。

僕はパンドラの箱を放置するしかなかったのは、現場としてわかっていたから、そこはフォローした。そして、「検査済証」なしの建物に対し、何らかの手続きを経て、それに替わるオフィシャルな証書を発行するルートの整備を訴えた。

そこから各局課長を交えたブレストが始まる。国の各局担当トップによるディスカッションである。おぼろげながら、「それはあるかもしれない」と思えるルートが見え始めた。

 

検査済証がない建物を用途変更する場合(確認申請をしたい場合)、確認申請審査を行う民間審査機関が既存建物を検査し、当時の基準法に照らして適合かを現地審査。それを当時の適法状態にまでもどせば、検査済証に替わる証書を発行する、というルートだ。国はそれをオフィシャルなものとして承認する。

これがあれば、用途変更の確認申請を受け付けることが可能となる。

審査機関の新たな収益にもつながるし、行政の手続きや負荷がそれほど増えない。設計や投資をする企業にとっても手続きがシンプル。さらに建物の安全性も保たれ、さらに不健全な状態にある建物を健全化する動機にもなる。この証書があればリノベーションもストックに対する不動産取引もやりやすくなり、活発化を導くだろう。みんながちょっとずつハッピーなはずだ。

「確かに、それはあるかもしれない・・・」

その場にいたみんなが、そこに光を見た。

副大臣は、「よし、とにかくこの問題はなんとかしよう。いつできる」と。

さすが政治家だ。ドラマみたいだった。

 

その後、リノベーション特区を設定することを提案したり、昭和25年にできた基準法の用途分類を再編成すべきだとか言ってみたが、まあそれはあまり刺さらず。僕も、検済証問題がクリアできれば、これらはなんとかなるかなと考え深追いしなかった。

 

一時間弱のミーティング。これが通れば、既存ストックのリノベーションに新しい道が開ける。果たして動き出すだろうか。

 

 

 

 

ウォーターハウスホテル

2013.8.23 | TEXT

そのホテルは上海の黄浦区の雑踏のなかにある。一見、廃墟のようにしか見えない。外壁はくたびれ、ペンキは今にも剥げそうにめくれ上がっている。そんなビルの一角に、小さなガラスの扉があって、そこから漏れる光から、かろうじてこのビルが稼働していることが感じられる。少し重い、そのガラス扉を聞くと内部は吹き抜けの大空間。かつてここは工場かなにかに使われていた痕跡が色濃く残っている。錆びた鉄骨の柱や梁がそのまま、荒々しく露出している。

スッと伸びたカウンターデスクと、奥にスーツを着た端正な女性コンセルジユという最小の記号が、この空間がかろうじてホテルのエントランスであることを担保していた。
たくさんのリノベーションを手掛けてきたし、ミニマムなデザインで再生する仕事を得意としてきたのだけど、廃墟をこれほど廃墟のままに放り投げた設計はさすがに初めて見た。

薄暗さに少しずつ目が慣れてくると、その放置が計算され尽くしたデザインであることが明らかになってくる。荒いままのベース建築に、慎重に直線的なフォルムや素材がぶつかっている。その微妙なコントラストがいたることろに散りばめられている。奥のパーにはビビットな色の精子がポツポツと置かれ、セピアな空間にピリッと彩りを与えている。
さらに深く入って行くと中庭があり、そこに面した大きなガラスの扉を引き込むと、レストランと中庭はひとつの空間としてつながるようになっている。中庭に面した窓の大きさは大小バラバラで、空間に独符のリズムを与えている。

稼働しているかどうかさえ疑わしい外観の印象は完全に裏切られ、そこには洗練された空間が存在していた。

このホテルの名は「Water House Hotel」、段計はNeri & Hu Design and Research Office で、ハーバード出、中国系の建築家のようだ。最近、中国への出張が多く、いろんなホテルに宿泊するが、このホテルを見ながら中国のデザインもここまで来てしまったか、という感があった。

中国はデザインの実験場になっている。北京オリンピックのメインスタジアム「鳥の巣」や、水泡が寄り集まったようなカタチが話題を呼んだ「ウォーターキューブ」がその代表格だろう。国家規模の大建築だけではなく、民間企業や個人がつくる小さな建築にも洗練と工夫が織り込まれているものをよく見かける。

法規的な制限がまだ甘いことや、いわゆるデザインの常識のようなものが存在していいないことなど、中国は実験的な空間が生まれやすい環境下にある。そのデザインの担い手の多くは、海外に留学していた中国人か、もしくは海外で育って中国に戻って来た人材たち。彼らの感性はヨーロッパ、アメリカ、そして日本のデザイン・ボキャフラリーによって形成されている。彼らは成熟下の国では実現できない実験をしているようにみえる。だから今、中国のデザインは伸び伸びとして、コンセプトを躊躇なく、率直に表現したものが多い。それは観ていてときにすがすがしい。

ウォータハウスの、むき身のデザイン風景を見上げながら変化する中国のデザイン潮流を感じていた。

 

 *こちらの記事は季刊誌『ケトル vol.13(2013年6月21日発売)」に「馬場正尊は上海のホテル「ウォーターハウス」にデザインの実験場、中国の空気を感じる」というタイトルで掲載された記事に加筆したものです。

ケトル

(文=馬場正尊)

故郷の夏、抽象的な時間。

2013.8.19 | TEXT

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佐賀県伊万里市、僕の生家。
田舎の祖母が他界してしばらく経つ。93歳、大往生である。
亡くなってから最初にやってくるお盆(九州では8/13~15)のことを初盆といい、田舎では霊前を丁寧に飾り、親戚や近くに住む人々が故人をしのびにやってくる。アポイントをとって来るのではなく、みんなフラリとやってくる。だから家族は盆の3日間、ずっと家にいてお客さんを迎えなければならない。
こんな風習があったことは知らなかった。帰省の飛行機が混んでいて、予約もとりにくいこの時期に田舎に帰ることはなかったが、「ときには、盆くらい帰ってこい」という命で久々にこの時期を実家の九州・伊万里で過ごした。

僕にとって、その3日間は不思議な体験だった。

次々と知らない人がやってくる。遠い親戚、商店街の人々、故人の友人(ほぼ80代後半)……。時間はゆっくり流れている。
ふらりとご近所さんがお参りに来る。ひとしきり故人の思い出話や、たわいもない世間話をする。最近、街がどう変わったか、自分の体がどれくらい思い通りにならなくなったか、都会に出た息子たちがどれくらい帰ってこないかなどを話している。
訪ねてくる遠い親戚には顔も知らない人も多く、即席の家系図を書きながらつながりを確認する。田舎なので血縁が複雑に絡み合っていて、なかなか全貌が理解できない。まるで横溝正史の小説のようだな、と思いながら、そこにあったであろう人間ドラマを夢想する。

来客は驚くほど多い。3日間、ほとんどひっきりなしに人が訪ねてくる。僕は田舎の家の長男として、日頃とはまったく違う言葉(方言)と内容の会話をした。
中庭に面した部屋で、かすかに通る風を感じ、うっすらと汗をかきながら、座りっぱなしで静かな時間を、ただ過ごす。ケータイで電車の乗り換え案内サイトを確認しながら、分刻みで移動やミーティングを繰り返す日々とは大違いだ。しかし、伊万里の寂れた商店街の日常の時間の流れは、こんなものなのだろう。
そういう日を3日続けながら、僕の東京での日常は、もしかして極めて特殊な街と時間のなかにあるのではないかと思えてきた。そこには隙間なく思考や行動が滑り込んできて、空白の時間が極めて少ない。意味で満たされた日々。

時々、おつかいを頼まれて外を歩く。
亡くなった祖母によく連れていかれた近くのデパートは、あるにはあるのだけど人影はまばら、華やいでいた頃の面影はない。帰りに、よく遊んだ小高い山の上の公園に10数年ぶりに行ってみると、広かったはずの公園が意外なほど小さくて驚いた。遊具は錆び付いて朽ちかけ、売店は物置になり、展望台は立入禁止になっていた。もはや遊びにくる子どもはいない、ぽっかりとした空間になっていた。確実に時間が過ぎているのを、いやおうなしに実感する。

15日の夜、近くの川で精霊流しが行われた。長崎の精霊流しが華やかで有名だが、隣の佐賀県の各地でもそれは行われている。手づくりの舟に提灯や供え物を乗せて川に流す。近所に住んでいる人々がなんとなく集まってきて、柔らかな光は水面に揺れながらゆっくり流れていく様子を眺める。僕も橋の上から、光の帯が遠のくまで追いかけ続けた。うまく表現できないが、なんだか初期化されたような気分になった。

暑い夏の静かな3日間。

道頓堀 角座、オープン。劇場の復活は街を変えるか?

2013.8.17 | TEXT

大阪・道頓堀の空地に設計をしていた「角座」が7月末日にオープンした。 かつて道頓堀は上方の演芸の中心で、そこには、浪花座、中座、角座、朝日座、弁天座と「五座」と呼ばれる芝居小屋が存在していた。しかしいつしか道頓堀は演芸の色が薄まり、角座も壊され空地になっていた。 そこに半仮設的な劇場をつくり、道頓堀の演芸復活のきっかけをつくろう、というのがこのプロジェクト。実現まで紆余曲折あって、かれこれ3年以上かかっている。

新しい角座の最大の特徴は、街にオープンであるということだ。劇場の中はガラス張りで外から丸見え。劇場の活気や気配が街ににじみ出るようなつくりになっている。 芸人たちがリハをしていたり、スタッフが舞台を建て込む様子が垣間みえる。それが今から始まる笑いを予感させる。舞台が跳ねた後は、観客とともに余韻が広場に漏れ出る。ブラックボックスではなく、あえて街に開いた劇場だ。 劇場空間には独特の色気のようなものがあって、それは映像ではなかなか伝わらない。生き生きとした舞台ならではの魅力を、通りを歩く人々に身近に感じてもらいたかった。

前の広場は劇場と街をつなぐオープンエアのホワイエであり、同時に道頓堀の新しい公園でもある。舞台の前後に一杯やってもいい。劇場に用がなくてもフラリと立ち寄ることも自由だ。通りの延長のように、広場も劇場と同じように街に開かれている。
さまざまな飲食の屋台が集まり、大阪の旬の食べ物が出る。そのラインナップも味も、およそ屋台とは思えない。例えば夏の夜風にあたりながら冷えたビールをぐっと飲む、冬にスはトーブにあたりながら熱いスープを味わう。道頓堀のネオンを感じながら、喧噪のなかで過ごす時間をつくりたかった。 もしかすると、芸人が屋台で店員をやっていたり、突然コントを始めて居合わせた客を笑わせたり・・・。この広場ならではの意外な出来事も起こるかもしれない。楽しむ側も、楽しませる側もごっちゃになった、さまざまなハプニングが起こる、そんな笑いの広場になればいい。一年じゅう縁日をやっているような空間だ。

角座再生に合わせて、松竹芸能のオフィスやスクールも劇場の隣に引っ越してきた。道頓堀を会社全体で盛り上げようという覚悟の現れだと思う。スクールに通う生徒も、オフィスで働くスタッフも、常に生の笑いの現場を目の当たりにしながら過ごすことになる。
最初は劇場だけだった計画は、いつの間にかにどんどん大きくなり、建物のなかに入りきれなくなった。外に追い出されたのはなんと社長室で、トラックの改造した、これまた丸見えの部屋になった。劇場も、広場も、社長室もすべてオープン。道頓堀に開いて行く。 この角座と広場から、新しいお笑いが街全体に広がってく、そんなイメージを持ちながらこの場所をデザインした。

現在、角座とその広場は連日、にぎわいを見せているようだ。新しい笑いと、上方の演芸が再び、この場所から育って欲しい。 道頓堀のど真ん中、ぜひ立ち寄って下さい。

おそるべき、秋葉原の言語感覚

2013.8.14 | TEXT

今日、独りで秋葉原をトボトボ歩いていた。
すると、居酒屋の客引きの女の子に声を掛けられた。どの街でもある出来事だが、秋葉原が違うのは、その娘がちょっと幼な可愛いく、オタクの空気をまとっていたこと。
そのときのフレーズが、これだ。

「一緒に、飲み飲みとか、しちゃいませんかー?」

めずらしくクラッときている自分に驚く。なぜだろう?
いつもは自動的に耳をスルーさせて聞き流す客引きのフレーズ。
しかし、もし後に打ち合わせが入っていなかったら、つい飲み飲みとかに行ってしまいそうな衝動に駆られ、それに自分自身が驚いていた。
なぜ、このときの秋葉原フレーズは僕の気持ちを揺さぶったのか?
飛び乗った山手線のなかで、その理由を分析を行った。
そこで秋葉原の言語感覚のすごさを思い知ることになる。

分節に分解してみる。

「一緒に/飲み飲み/とか/しちゃいませんかー?」

一緒に >> あ、一緒なんだ

飲み飲み >> 飲むだけじゃなく、飲み飲みなんだ

とか >> とか? 他にもあんのかな

しちゃいませんか >> しちゃうくらいなら、まあいいかな

四つの文節のすべてに罠が仕掛けてある。
そして、ひとつの分節にも無駄がない。
僕の脳はごく素直に、
「一緒に/飲み飲み/くらいなら/しちゃっていいかなー」
と反応していたのだ。

この研ぎすまされたトラップフレーズの構成。もはや洗練された文学の域だ。

あー、一緒に飲み飲みとかしてー。

政治を変える「透明な市役所」

2013.7.28 | TEXT

ガラス張りの市役所と「まちどま」。政治を外部に聞こうというメッセージが空間化されているような気がした。
ガラス張りの市役所と「まちどま」。政治を外部に聞こうというメッセージが空間化されているような気がした。

 新潟県長岡市に仕事で訪れた。会議の場所は市民ホールだったが、新幹線を降りると 駅から直結。アリーナ、市役所、議事堂も集約されている。最も驚いたのが、そのすべてがガラス張りで、中がまる見えなのだ。設計は限研吾、新しい行政機能のあり方を示しているように思う。

 これらバラバラの機能は、「まちどま」という半屋外のオープンスペースを中心に構成されている。「まちどま」は土問空間で、キッチンカーが来てカフェになったり、パブリックビューイングで盛り上がったり、普段は市民の抜け道になったり、様々な顔を持つ。時間帯や季節、使う側の意図によって機能が切り替わる自由なパブリックスペースだ。

 市役所は「まちどま」の上空を取り囲む立体パズルのように構成されている。職貝は会議室に行くのに、パブリックなブリッジを横切らなくてはならないこともある。会議室も四方がガラス張りで、内容は聞こえてこないが、誰が何人ぐらいで話しているのか、その気配は否応なしににじみ出る。市役所のなかにパブリック空間が入り込み、その境界は暖昧だ。

 極めつけがガラス張りの議事堂だ。提案した建築家もすごいが、採用した議会もすごい。議会の様子が通りすがりの市民にさらされ、「透明な議論」が日常勤線に存在する。

 街と絡み合うように存在する市役所は機能も経済も、街ににじみ出る。市民は自然に行政や政治を近い存在に感じるだろう。物理的な距離を縮めることは、そのまま精神的な距離も縮めることになる。その効果は時聞をかけてじわじわと効いてくるのではないだろうか。空間が行政のあり方を変えるかもしれない。長岡市役所はその大きな一歩を踏み出した。

 

*こちらの記事は季刊誌『オルタナ33号(2013年6月29日発売)」に「政治を変える『透明な市役所』」というタイトルで掲載された記事です。

オルタナ

(文=馬場正尊)

テラスハウスの可能性

2013.5.13 | TEXT

テラスハウスという住居モデルを知っているだろうか。それは今、改めて注目している集合住宅のカタチだ。

テラスハウスとは、複数の戸建て住宅が壁を共有しながら連続している低層集合住宅のことだ。各住戸が地面に接し、庭を持っていることが普通のマンションと大きく違うポイント。

昭和初年代、初期の団地にはテラスハウスが数多く、見られた。急激に人口が増え始めるなか、初期の団地にも数多く採用されている。名作として有名な前川園男設計の阿佐ヶ谷住宅、昭和天皇が視察したひばりが丘団地の一部等など。しかしその多くはすでに解体されたかそれを待つ運命にある。

自分の記憶をたどれば小学生の頃、テラスハウスの借家に住んでいた友達がたくさんいて、一緒に遊んでいた風景が目に浮かぶ。庭先から靴を脱いでそのまま居間に上がり込み、ちゃんと玄関側から入った記憶はない。屋外と室内を往ったり来たりして遊んでいた。あのテラスハウスはまだ残っているだろうか?

テラスハウスは、ヨーロッパでは今でも都市部の住まいとしてスタンダードだが、日本ではめっきり見なくなった。高密度の都市部では土地利用効率が悪いために、日本はより高層化の道を選択したからだ。また、「テラスハウス=長屋」という構図が目本人の頭にあってリッチな感じがしなかったのも大きかったのではないだろうか。しかし、住む側にとってはメリットが多い住居モデルである。低い建蔽率、容積率でゆったりと建っているからゆとりがある。庭と居聞が続いているような感覚で、のびのびとした生活ができる。

東京から失われかけていたテラスハススだが、昨年発見された。JR田端駅のトンネルの上に建っていたから、積載荷重に制限があり、高層マンションのような大きな建物が建てられなかったらしい。かつては国鉄の家族寮として使われていたらしいが、かれこれ5 年以上空き家になっていたようだ。それを再生したのが、僕の事務所 Open A が手掛けたプロジェクト。一階には土間や縁側をつくり庭とつなげてみた。窓を開ければ自の前で、畑をつくったり、BBQ をしてみたりと普通の集合住宅にはない自由がある。惑が南北両面にあるので風が思いっきり通り抜ける。40年前の様式なのでエアコンに額らない段計におのずとなっている。メゾネットなので一階に開放的なダイニング、二階にはプライバシー重視の個室や寝室と、フロアで分割している。そのメリハリは普通のマンションでは得難いだろう。隣近所の気配を感じつつ、適度な距離感のコミュニティが生まれそうだ。今だから改めて魅力的に見えてくる。

東京R不動産で告知をして内覧会を行ったら、なんと50組近い人々が訪れてくれた。僕が空間の説明をするまでもなく、人々はさまざまな住み方を空想しながら敷地内を歩き回っていた。空間の余白はそのまま想像力の余白にもなる。

そんな風景を見ながら、東京から消えたテラスハウスは一周遅れで時代が求める集合住宅のカタチなのではないかと考えた。次は、新築のテラスハウスをつくってみたい。

 

*こちらの記事は季刊誌『ケトル vol.12(2013年4月13日発売)」に「馬場正尊は約40年前のテラスハウスにこれからの時代の住空間の可能性をみた」というタイトルで掲載された記事です。

ケトル

(文=馬場正尊)