西村浩の「わいわいコンテナプロジェクト」

2013.10.25 | TEXT

今、育った故郷の佐賀内市のまちづくりを始めている。建築家の 西村浩が率いるワークビジョンズ、コミュニティデザイナーの山崎亮率いるstiudio-Lとの共同プロジェクト。西村、馬場が佐賀出身である。僕は中学、高校の青春時代をこの街で過ごした。 佐賀も、他の地方都市と同じように中心市街地の空洞化が進んでいる。僕が高校生だった頃は、土曜の夜ともなると商店街は人でごったがえしていたのだが、今ではアーケードも撤去され、見る影もない。シャッター通りですらなく、建物が壊され駐車場にな り、街自体が消滅の危機にある。その勢いは止まらない。そこで僕らが呼ばれたのだ。空地化する街を新しい方法で再生するには困難であり、同時に日本じゅうの地方が抱えている課題だ。故郷なので失敗ができない。かなりのプレッシャーだ。

このプロジェクトを具体的に動かした最初の一手は、西村浩が空地にコンテナを置いたことに始まる。コンテナを置くことが街の変化の合図になった。

街にコンテナが突然出現した効果は大きかった。 コンテナのなかには、小さな雑誌の図書館、積み木がいっぱいの遊び場、カフェ、そしてチャレンジショップが入っている。芝生を有志の市民で敷きつめたことによって、ここはみんなの場所になった。何の手掛かりもなかった空き地に、コンテナというアイコンがやってきたことで、ここではいつも何かが起こっていて、なんとなく市民が集まってもいい場所に育っていった。空き地が立ち入り禁止の場所ではなく、積極的に介入可能な場所として市民に認識されると、他の空き地の変化も誘発した。ひとつ、またひとつと空き地が原っぱに変わっていっている。

かつて僕らは空き地で自由に遊んでいた。「ドラえもん」では土管がそこに転がっていて、そこが物語の中心だった。しかし現在、その隙間は街のなかに存在しなくなった。柵で覆われるか、駐車場としてアスファルトで覆ってしまい市民が介入することを 拒絶してしまった。この「わいわいコンテナプロジェクト」は、その価値観を壊す小さな一歩。

とはいいつつ、実は空き地にコンテナを置く、このとてもシンプルに見える作業は、建築基準法をクリアする作業がけっこう面倒。コンテナは建築物ではないが、長期間同じ場所に設置し、なかに人が入ることを前提にする場合は建築確認申請を通さなければならない。そのためポンと置くだけではダメで基礎をつくりボルトで固定する必要がある。建築家しかできないちょっとした工夫や、行政への調整もある。こういう役割をこなすことも建築家の仕事。

地方都市は中心市街地の空洞化が止まらない。駐車場という名の空き地が増え、風景やコミュニティが壊れている。佐賀のプロジェクトで提案しているのは、疎になってしまった場所を原っぱと捉え直し、再び子どもたちが自由に走り回れる場にすること。そのなかに点々と店や家が点在し、緑と建物が混在する新しいま ち並みをつくることだ。コンテナはそのスタートのアイコンだった。地方都市再生の試行錯誤だ。

 

*こちらの記事は季刊誌『ケトル vol.14(2013年8月23日発売)」に「馬場正尊は西村浩が広場に置いたコンテナに地方再生の鍵を見つけた」というタイトルで掲載された記事に加筆したものです。

ケトル

(文=馬場正尊)