*こちらの記事はWEBマガジン「REAL TOKYO」に「アバンギャルドは東に向かう?」というタイトルで掲載された記事です。
(文=馬場正尊)
ロンドンに一週間ほど行ってきた。とにかく物価が高いのと、ポンド高(円安?)に苦戦する毎日。地下鉄の初乗りが600円、タバコが1800円、円に換算するとそんな金額になってしまう。ロンドンで生活している人にとっては、1ポンド100円強というイメージらしいが、観光客にはキツい数字。旅の主な目的は、秋に僕の事務所にワークショップでやってくるロンドン大学バートレット校の担当教官との打ち合わせ、そしてロンドン郊外の田園都市を視察するためだったが、比較的時間に余裕があったので、最近のロンドンを見て回ることができた。
ロンドンといえばミュージアムとギャラリー。その数にはひたすら圧倒される。ノーマン・フォスターによって改装された大英博物館の中庭も美しかったが、世界から収集(略奪?)された収蔵品と、英国人の編集癖には舌を巻く。
火力発電所を現代美術のギャラリーに改装したテート・モダンを眺めながら、改めて現代美術と、工場のような巨大空間のリノベーションは相性がいいことを確認した。それは現代美術があらかじめ持っている、なんというか既存概念の破壊と創造のベクトルのようなものを、こうした空間自体が抱えているからなのではないだろうか。電気を生産していた現場、というコンテクストは現代美術にぴったり。20世紀の芸術家たちが自由を求めて表現を模索する力は、大理石に囲まれた上品な空間には似合わない。東京都現代美術館の建物のなかの不思議な息苦しさとは対照的に、ここでは自由な気持ちに拍車がかかる。ヘルツォーク&ド・ムーロンの、いい意味で大雑把な空間構成も、ここには似つかわしい。
もうひとつ、アートの地政学的な不思議について気が付いたことがある。今回の旅ではテート・モダンのようなエスタブリッシュされたものばかりではなく、最近のロンドンのアートシーンがどうなっているか、そのエッジの部分も覗いて見たいと思っていた。ダミアン・ハーストなどを発掘し、ロンドンを現代美術の震源地のひとつとならしめたギャラリーのいまを、ぶらりと覗いてみたいと思っていた。情報を得て、地図で探すとあることに気が付く。東ロンドンに集中(というか、移動)しているのだ。
それにしても、なぜ東なのだろう。
たとえばニューヨークでもアバンギャルドが元気がいいのは、マンハッタンから飛び出してイースト・リバーを越えた東側である。P.S.1をはじめとした核は、今やクイーンズ地区にある。マンハッタンの西側はハドソン川なので、そっちには伸びようもないのだが……。
東ロンドンは移民が多いエリアでもある。街を歩いていてもケバブ屋など中東系の店が目に付く。落書きもワイルドになり、西側の住宅地ノッティング・ヒルあたりとは対照的。不思議なのは、NYのクイーンズの街角に流れている空気と、東ロンドンに流れている空気は、どこか同質に感じられることだ。何かが起きそう(悪い意味ばかりではなくて)な、「ただならぬ気配」とでも言おうか……。そもそも、現代美術が健全な状況のなかから生まれるべくもない。世界に対し言葉では十分に表現できない問題提起をすることこそ、アイデンティティである。
アバンギャルドは東へ向かう? 都市構造と現代美術には何らかの関係があるのだろうか。
振り返って東京。もちろん、僕らも東京の東側でCETの活動を続けている。参画しているメンバーも東側の「ただならぬ気配」に反応しているのだろう。NYやロンドンのように、移民がいるわけではない。そこは日本。まだまだ民族の多様性は薄い。しかし、東京の東にも、どうも既存の業界文脈からは外れがちの人々が多いような気がする。自身で望んでか、そうでもないのかには関わらず、外れ者。たぶん既成文脈のなかでは生きにくい。だから東へ流れてきてしまう。
昨日は、CETの事務局長、清水くんの結婚パーティーだった。集まりの悪いCETディレクター陣だが、久しぶりにほぼフルメンバーが揃った。上記のようなヨタ話をしながら、改めて今年のCETは、東のただならぬ空気をそのまま楽しむような、外れ者による、外れ者のための展覧会にしようとだけ確認した(内容詳細は、何も決まらず……)。そうして月日は、着々と流れてゆく。