僕らの事務所、Open Aには大きな年中行事がふたつある。
ひとつは夏のA-cupというサッカー大会。もうひとつは秋のCET(Central East Tokyo)というアートイベント。設計事務所がなぜ、サッカー大会やアートイベントをやんなきゃいけないのか、わけがわからない。でも、それが僕らのアイデンティティにもつながっているような気もする。
A-cupは毎年7月に行われる、建築家だらけのサッカー大会。
建築とサッカーの間には、なにか不思議な親和性がある。断言してもいい。その両者の親和性は、トルシエが「フラットスリー」という表現を使い、村上隆が「スーパーフラット」と言い出したあたりで決定的になった!? 「フラット」という概念が重要なキーワードになっているのは確かだ。実際、現代の若手建築家には、なぜか圧倒的にサッカーフリークが多い。サッカー部で鳴らした人間も数多くいる。建築家たちの、建築家たちによる、建築家たちのためのサッカー大会、それがA-cupだ。
それは日本でワールドカップが開催された2002年、100人程度の建築関係者たちが集まって始まった。Aとは、もちろんArchitectureの頭文字。もとはといえば、雑誌『A』12号でサッカー特集をやったときに、「サッカーをアナロジーにして、都市と建築を考える」という悪ノリ対談を行ったのがきっかけだ。そのときのメンツは、阿部仁史、石田壽一、塚本由晴、磯達雄、そして僕。
噂が噂を呼び、4年目の今年は、北は仙台から南は福岡まで計27チーム、600人の建築関係者たちが集まる大会になってしまった。普通に考えれば絶対スケジュールが合いそうにない多忙な建築家たちも、なぜか毎年7月の第一日曜だけは1年前から空けてある。不気味なほど豪華なメンバーが集まっていて、今年の極めつきは建築界の重鎮、日本のモダニズムを継承する高橋てい一(81歳!)がグランドに立っていたこと。ヘディングをする姿を目にしたときは、主催者として息をのんで無事を祈ると同時に、「建築家って、最後は体力だよなあ」と実感したものだ。
この大会の醍醐味は、いつもは少々偉そうで賢いことを言っている建築家たちが、スタッフや学生たちにもてあそばれるようにドリブルで抜き去られている姿を見ること。その姿は、建築家の威信を大きく傷つけるが、はたから見ているぶんには大いに笑える。
ちなみに、今年の優勝は「仙台カテナチヲ」。東北大学の阿部仁史が率いるチームだ。当日は、金色のユニフォームに全員金髪。そもそも、大学の教授がサッカー大会のために金髪に染めていいものだろうか? その気合いに各チームは圧され、「カテナチヲ」の名の通り、完封で優勝を飾った。
ちなみに、我々のチーム、f.c.Aは、その仙台カテナチヲに一回戦で当たり、散々な目に合った。主催者でこんなにがんばっているのに、まったく浮かばれない……。このチームの平均年齢は35歳超、どのチームも「おやじ枠」な世代がチームの主役で、カテナチヲの主力とは一回りも違う……。みっともないので、グチはこれくらいに。
来年もまた、H鋼でつくられた優勝杯(ミース・ファン・デル・ローエ杯と呼ばれている)を目指し、日本じゅうから建築家たちが集まってくる。
CETでやります、建築コンペ
もうひとつの秋の風物詩、それがCET(Central East Tokyo)。今年で3回目になる。このコラムでも何度か紹介させてもらったが、また、この季節がやってくる。
10月1日~10日開催。僕らの事務所がある日本橋や神田エリアの空きビルをギャラリーとして10日間だけ開放した、街全体を使ったアートイベントだ。今年のテーマは「ロジカルトキョー」。路地の論理(ロジック)は、いつの時代も革新的(ラディカル)。それを「ロジカル」と呼んでみた。詳しい内容については、長くなるのでHPに譲るとしたい。日々、新しい情報が更新されてます。※このHPは現在閉鎖しています。
この場を借りてちょっと宣伝したいのが、CETで行う「建築コンペ」。
エリア内の、ある行政の所有する空き物件へ新しい使用方法を求めるコンペティションだ。いいビルが発見されたのです。今、行政と調整中で、来週にも詳しい要項を公式HPにアップする。魅力的な立地、古いながら味のある質感、使いにくそうなビルディングタイプ。いい意味でも、悪い意味でも、クリエーターマインドをくすぐる物件。この建物をどのような手法とデザインで再生させるのか、それを問います。
僕らはこれを単なるアイディアコンペになんかしたくなくて、可能性のあるもの、リアリティのあるもの、実効性の高いものについては行政や民間ディベロッパーへ具体的な提案として持っていく。コンペから具体的な次のアクションを始めるっていうのが、とてもCETらしい。
*こちらの記事はWEBマガジン「REAL TOKYO」に「サッカーをアナロジーにして、都市と建築を考える。」というタイトルで掲載された記事です。
(文=馬場正尊)