ウズベキスタンに行ってきた。

2004.2.5 | TEXT

*こちらの記事はWEBマガジン「REAL TOKYO」に「ウズベキスタンに行ってきた。」というタイトルで掲載された記事です。

(文=馬場正尊)

モスク。長方形の壁が掘られたようなデザインが、この地域の建築の特徴
モスク。長方形の壁が掘られたようなデザインが、この地域の建築の特徴

そう言うと、何処にあるの? 何しに? 仕事? と質問攻めに合うが、ただの観光旅行だった。

僕は数年に一回くらい、どうしようもなく乾いたイスラムの空気を吸いたくなる。どこまで走っても風景が変わらない砂漠、まだ薄暗い早朝に半分睡眠のなかで遠くから聞くコーラン、さまざまな臭いと色彩が混ざり合う迷路のようなバザール、そして不思議な気分にさせてくれるモスクの内部空間……。特別にイスラムが好きでもなく、興味がそれほどあるわけでもないが、まるでタイマーのようにそんな風景を見たくなる。そして今年、その気分はやってきてしまった。

今までトルコやモロッコに行って、さて今度は何処へと世界地図を広げてみたのだが、安全に渡航できる国がなかなか見つからない。外務省の危険度指標も高い数値を示している国ばかりだ。「さすがに難しいかな」と思ったとき、地図上に「サマルカンド」という地名が目についた。その都市名の独特の響きとともに、昔見たNHKのシルクロードの映像が目の前に浮かんできて、その瞬間にこの場所に行くことを、ほぼ決めた。さて、その都市はいったいどの国にあるのだろう、どうやって行くのだろう。「ウズベキスタン」。その日常ではほとんど聞くことのない名称がいきなりクローズアップされたわけだった。

調べて見ると、なんと首都タシケントには日本から直行便が出ている。最近、就航したらしい。危険度も低い。物価も航空運賃も安いではないか。というわけで、すぐさまチケットを予約した。

ここは中東のど真ん中、南はアフガニスタンにも接している。地理上の要衝であるためさまざまな民族がさまざまな歴史を積み重ねている。破壊と構築を繰り返した、まさに都市のなかの都市である。そんな生きた遺跡が砂漠のなかにオアシスとともに散在している。

モスクは他のイスラム建築と基本構造が少し違っていて興味深かった。ミナレットがやたらと巨大で装飾的なのが特徴、そこに貼られたビビットなエメラルドブルーは、海のない国での水への希求そのもののように見える。しかしもっとも印象的だったのは砂漠で、広大な地平線に一本道がどこまでも続く。先は見えない。時速140kmで突っ走る車窓は約5時間、なにも変わらなかった。三蔵法師はこの道を歩いて中国からインドへ旅をしているのだが、それにはまったくリアリティがもてない。あの時代、どうやってこの難所を乗り切ったのだろうか。

ヒワという、砂漠のオアシス都市。 後方に見えているのは、建設途中のまま放置されたミナレット
ヒワという、砂漠のオアシス都市。 後方に見えているのは、建設途中のまま放置されたミナレット

 

サマルカンドのモスク
サマルカンドのモスク

砂漠のまっただ中の小さなチャイハネでお茶を飲みながら、キリッと暑い風を浴びた。たぶんこの感覚を味合うためにここに立っているのだろうなと、改めて思う。そしてまた新しいタイマーにスイッチが入ったような気がした。数年後、意味も目的もなく、空気だけを味わいにイスラムの砂漠に行きたくなるのだろうか。

ウズベキスタンという国は地下資源の埋蔵量が世界有数。今後確実に発展してくる国であることが実感できた。子供は街に溢れ、彼らはビデオカメラを持った僕に寄ってきては「写せ、触らせろ」とうるさい。好奇心が旺盛で人なつっこい。さまざまな民族の血が混ざっていて、とにかく美人が多い。ロシア系とアジア系の混ざった息を飲むほど美しい人と何度もすれ違った(まあ、これは国の発展とは関係ないかもしれないけど……)。車は韓国製が大多数を占めている。ここでもコリアンパワーは炸裂で、日本車はまったく見られなかった。そして街のいたるところに「冬のソナタ」のポスターが……。恐るべし。

realtokyo20-04

なぜか帰りの飛行機の時間を勘違いしていて、フライトギリギリの時間に空港に到着となった。空港職員は「だめだ、間に合わない」と言った。「でも賄賂を渡せばなんとかなる」とも言った。ムカつくが、この便を逃せば次の便は一週間後、それはありえない選択だった。こっからが大変で、あらゆるゲートで賄賂を要求されることになる。が、考えようによっては、それで無事に飛行機に乗れたわけで、ラッキーだったと言うべきかもしれない。日本やアメリカだったら、飛行機を待たせてまで乗せてもらえなかっただろう。

飛行機に腰を下ろして落ち着きながら、あることに気がつく。ウズベキスタンの町中で賄賂を要求されたり、ぼったくられたり、金銭関係のトラブルはまったくなかった。海外ではめずらしいくらいの体験だ。がしかし、パスポートチェックやら空港やら政府関係者、警官など(権力側にいる人々)はとにかく賄賂を、まるで仕事の一部のように要求してくる。そりゃ、ソ連も滅ぶよなあ、と実感した。そして、とても悲惨な気分になった。国というのは、こうやって壊れていくものだということを肌で感じた。

同時にハッと気がついたのは、日本でも一般生活や民間企業での仕事で賄賂を要求してくる人々はいないけど、行政の役人たちは普通に接待されてみたり、出張費をちょろまかしたりしているわけで、基本的に同じ構造ではないかということだ。この状況というのは、僕らがなんとなく思っているよりも、はるかに高いレベルで国の危機なのではないだろうか。要は、市井の人々と行政側が著しく乖離した国になっている。なんだか悲惨な気持ちになってきた。

とはいいつつ、この数日間は現実離れしていて、とても心地よかった。日干し煉瓦とタイルだけでつくられた数百年前の大都市、その風景を時間をさかのぼって想像しようと何度も試みた。東京も、どうなっているかわからない。「ガラスとコンクリートと鉄骨だけでつくられた数百年前の大都市」と、呼ばれているかもしれない。