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2002.12.29 | TEXT

群馬

紅葉が始まる赤城山の麓の国立青年自然の家へ。ワークショップの方法を学ぶためのワークショップ・・・と書いても何のことだかわからないが、とにかく新しいモノの考え方や決定プロセス、とでも言おうか、そのための勉強をしに行ってきた。僕はWorkshopware inc.っていう会社をつくり、ワークショップのための空間やプロダクト、家具をつくっているけど、そのためにはより深く「ワークショップとはなんぞや?」を知らなければならないと思ったからだ。
うまく表現できないが、とにかく不思議な時間を過ごしたことは確か。日常ではあまり会わないタイプの人々とたくさんの話をした。小中学校学校の先生や、福祉施設で働く人、自然のなかでのキャンプを仕事にしている人・・・世の中にはほんとにさまざまな価値観の人々がいる。僕が日常会っている人々は、とても狭いレンジなのかもしれない、と改めて考えてみたりした。

Think The Earth Project の上田さんや、Flowの田中くん、Livingworldの西村さんなど、なんとなく同じ帯域にいるクリエーターの人たちも一緒だった。
んん・・・、うまく表現できない日々。どこかで詳しく書くこともあるかもしれない。

 

沖縄

紅葉の赤城山の翌日は、まだ真夏日の沖縄へ。気温差20℃。あいかわらず暖かい。いつものコザのプロジェクトと、今回はもう一つ海辺にいくつかのコンドミニアムをつくるという新しい仕事のための出張だった。最近、カメラ付きケータイを手に入れて、どうでもいい映像を撮るようになった。そしてそれを意味もなく誰かに送る。寒い東京の事務所で仕事をする沖縄出身の内田くんにオリオンのカンパイ映像を送

る。東京からは寒そうな映像が返信されてきた。男同士で写メールしあっている姿に、まわりの人間たちが気持ち悪がっていた。お互い究極の独り身である。ほっとけ!
コザではやはり、いつものように飲み過ぎる。二日酔いのなか、海辺の予定地へ現場調整に行く。風が暖かい。まだ泳げそうだ。とても美しい風景だった。森と海が近い。 しばらくここに通うことができる、それがうれしい。

沖縄からのカンパイのメール。
沖縄からのカンパイのメール。

東京

沖縄から、羽田空港でトランジットして福岡へ。なんて非効率な動き方。しかし、往復割引を使うと、沖縄から福岡に直接飛ぶよりも、東京を経由したほうがかなり安くなってしまう。
羽田空港でしばらく時間をつぶす。Yahoo Cafeができていたので、ふらりと入ってみる。すると、けっこう仕事をしている人がいた。空港での待ち時間は、ちょっとした仕事にはうってつけ。ちょうど『eciffo』というワークスタイルの雑誌(←とても注目している雑誌です、めちゃ面白い。ちなみに雑誌名はofficeをひっくり返したもの)の原稿を書くことになっているので、その様子をメモしておく。ワークスタイルもワークプレイスも、さまざまな場所に散在し始めている。最新の『eciffo』のタイトルは「都市に浸透するワークプレイス」。僕はまさにその恩恵にあずかっているワーカーだと思う。さまざまな場所が仕事場だ。

東京からのクリスマスの返信。しかし、まだ早い。
東京からのクリスマスの返信。しかし、まだ早い。

福岡

最終の飛行機で福岡につき、ビジネスホテルへチェックイン。ラーメンを食べに行く。これだけははずせない。福岡の変化はとても激しく不景気など何処吹く風、訪れるたびに風景が変わっている。ふらふらと夜の街を歩き回ってみる。博多弁が心地良い。ホテルではバタバタと溜まりに溜まったメールや原稿などを処理する。早朝、両親の住む福岡郊外へ。近くの海岸へ久しぶりに犬の散歩。大五郎っていう名前。

空港のカフェ。浸透する仕事場。
空港のカフェ。浸透する仕事場。

 

大五郎。
大五郎。

 

近くの海辺。犬の散歩道。
近くの海辺。犬の散歩道。

伊万里

生まれ故郷の伊万里へ。法事です。
僕の実家は、たばこ屋×雑誌などの本屋、要は田舎の何でも屋だ。小さい頃はよく店番をしていた。竣工が江戸時代という古い町屋で、土塀づくりである。木造3階建て(一部ロフトで4階がある)。こう書くとなんだかたいそうな家に聞こえるかもしれないけど、実際はボロボロです。
看板には「日の本石鹸」とある。昔は石鹸も売っていたらしい。

僕が小さい頃には、商店街も賑わっていたのだけど、今では郊外の大型店に客が移動してしまい、かつての商店街はほぼ廃墟の様相を呈している。おおげさでなく、ほとんどの店がシャッターを降ろすか空き地。そのなかで、89歳になる祖母はたばこ屋を続けている。店先に自動販売機が置いてあり、必ずしも店が開いている必要はないのだろうが、祖母は60年間以上、正月一日以外は同じ場所に座って、店を開け続けている。訪れる客は自動販売機でたばこを買いながら、そこに座っている祖母に一言掛けていく。街にとっては大切なオブジェのようなものなのかもしれない。人口5万人程度の小さな街のほぼ中心なので「商店街のばあちゃんのいるたばこ屋の馬場」といえば、みんな知っていてとても便利だ。

ほんの15年前は、あれだけ賑やかだった商店街が、今ではほとんど人が通らない。おそらく日本中、そんな街がたくさんあることだろう。複雑な思いになる。
とにもかくにも、このたばこ屋が僕の故郷だ。

自販機があるため、必ずしも「店先」は必要ないように思うが、そこに89歳の祖母が置物のように座っていて、街にとってはそれが大切なことのように思える。
自販機があるため、必ずしも「店先」は必要ないように思うが、そこに89歳の祖母が置物のように座っていて、街にとってはそれが大切なことのように思える。
生家のたばこ屋。僕が小さい頃は雑誌も売っていた。その昔は、どうやら石鹸も売っていたらしい。
生家のたばこ屋。僕が小さい頃は雑誌も売っていた。その昔は、どうやら石鹸も売っていたらしい。

 

*こちらの記事はWEBマガジン「REAL TOKYO」に「群馬>>沖縄>>東京>>福岡>>伊万里」というタイトルで掲載された記事です。

(文=馬場正尊)