上海、北京に行って来た。
覚悟はしていたが、それでもやはり驚いた。この国は近代という時間がぽっかり抜け落ち、いきなり21世紀に突入している。
とにかく変化に飢えている。スタックした50年を5年で取り戻そうとしているため、風景は10倍早回しで移り変わっているようだ。
最先端のデザインや洗練は、迷わずコピーする。結果としてモダン以前のフォーマットにもっとも新しいデザインが上塗りされる。その両者には連続性はない。
ただ、それがあまりにも乱暴に行われているためさわやかでさえある。
確実に言えるのは、中国最大のこの二つの都市は、さまざまな意味ですでに東京を凌駕しているということだろう。僕は正直、ショックだった。
写真はホテルの部屋の窓からのものだ。眼下には1900年代初期に建てられた石積みの民家がベターっと貼り付いている。その際に高層ビルが突然立ち上がる。おそらく来年にはこの低層住居群はなくなっているだろう。
ホテルの隣には「虫」の市場があった。朝、やたらと虫の声が響いているので、声のする方向へと路地に入り込んだらコオロギやら見たこともない巨大なバッタらしきものやらを売っている。地元のおやじたちがそこに集まってなにやら賭事をしている。闘虫らしい。彼らはこんな虫に財産をつぎ込んでいるらしい。
これらの風景を見ていると、国という概念とは何なのだろうか? とふと思う。
国という概念の重要性がさらに薄らいでいくように思えた。最近、取材や仕事でいろんな国に行くけど、この旅でその感覚はさらに強まった。その代わりに新しい集団単位のようなものが見えてきた気がした。
国境というのが空間的にタテに区切った領域だとするならば、ヨコ方向に新しいレイヤーができている。その水平に広がるレイヤーに国境は関係なく、感性やらイメージなど抽象的なものでまとまりを見せている。レイヤーを共有していれば簡単に国境を越えコミュニケーションが成立する。 今回、僕はいくつかのプロジェクトのプレゼンテーションで上海と北京を訪れたのだが そこで出会った人々とは、まるで同じような環境下で同じような教育を受けたかのように感性のようなものを共有できたような気がした。まあ、錯覚かもしれないがそれは今から徐々にわかっていくことだろう。とにかく、10年前までは共産主義社会で赤く染められていた状況下で長年生活をしてきた人々と、共通のデザイン言語で話せるということに驚いた。
人間の適応能力とはいったい何なのだろう。ほんの十数年前には市民に向けて発砲していた共産主義の街のはずだが、天安門のすぐ近くの路上でさえ東京よりよほど派手な広告が溢れている。考えられないほど巨大なショッピングセンターがある、そしてそこで売っているのは高級ブランドばかり、価格は日本より高い。
中華民族、華僑のしたたかさを改めて目の当たりにした。
世界中どんな都市に行っても不思議と存在する中華街、 彼らは生まれながらにしてコスモポリタン。今回会った香港人は一週間の間に香港>上海>北京>上海>香港…と移動しまくっていた。まるで東京と宇都宮くらいの感覚だ。この人たちにとっては、あらかじめ国という単位など関係ないのかもしれない。
それでも中国は共産党の国だ。国土を所有しているのは国家である。でも、それが土地に縛られない理由にもなっていた。というのは、例えば巨大な高層ビルを建てる場合でも、その土地は国から「借り」なければならない。どうやら20年間だけの定期借地で、その後、その建物が建った土地がどうなるのかはわからないらしい。「法律なんて、ここではすぐ変わる」と、国を信用している素振りなどない。「そんな先が見えない状況でガンガン投資をして不安じゃないのか?」と、上海で活動する香港のディベロッパーに聞いてみた。
「この街では5年先を見ているやつはいない。5年後はずっと先の未来だ」
いつのまにか、東京はゆっくりした街になってしまったのかもしれない、と思った。
*こちらの記事はWEBマガジン「REAL TOKYO」に「ロストモダン・シティ」というタイトルで掲載された記事です。
(文=馬場正尊)