水戸に行ってきた。
きっかけは『東京イーストエンドツアー』で、そこに参加していた水戸芸術館現代美術センター(以下、水戸芸)のキュレーター・森司さんから、一度来て下さい・・・というメールをもらったからだ。
「水戸でも、水戸芸がプラットフォームになって街をフィールドにした表現をやってみようと思う」というもの。
ツアーの後のRT Barで立ち話をしたのだけど、その数日後には水戸への招待のメールが届いた。素早い。
なにはともあれ水戸へ。ちょうど前日に建築家・阿部仁史さんに呼ばれて仙台に行ったので、その帰りに立ち寄ることにした。
昼過ぎに水戸駅で待っていたのは、想像もしない不思議な組み合わせの人々。水戸芸のキュレーター3人、地元青年会の代表者数人、水戸芸の実施設計をした建築家(基本設計は磯崎新氏)、水戸ホーリーホックのサポーター代表者、地元有力不動産会社など総勢10人以上の大ツアー。職業がバラバラ過ぎる・・・。最初は、このメンバーが何を意味しているのかがわからなかったのだが、この後、次第に、この企画のしたたかな戦略と本気度が伝わってくることになる。
駅前のスタバで呆然としている僕に、森さんはじめ顔見知りのキュレーター陣は、「びっくりしたでしょ。こういうことになるとは、僕らも想像してなかったんですよ」といたずら顔。
そこから、半日をかけて水戸の中心部の「魅力的な空き物件」を見て回る「水戸ミッドタウンツアー」が敢行された。
人口40万人、北関東の中心地、江戸からの歴史の名残を残すこの街もやはり、一地方都市であることにはかわりはない。そして、抱える問題も日本の中規模都市と同質である。
繁華街の真ん中にあり得ないような規模の空きビルがある。あえて乱暴な表現をすると、市街地の巨大な廃墟。圧巻だったのが某デパートの8階建ての廃墟だった。もう何年もそこは空きっぱなし、水戸芸から歩いて5分程度の一等地だ。
その他にも地価の変化やモータリゼーションによって疲弊した市街地の風景がいたるところに散らばっている。
印象的だったのは、僕ばかりではなくずっと水戸に住んでいる人々が改めてその街の風景を再発見し、驚いていたことだった。日常に沈んでいる風景は能動的に見ようと思わなければ見えてこないものなのだ。それは『東京イーストエンドツアー』でも体験したことだった。
水戸芸では、この散在するボイド(空き物件)を使った展覧会を構想しているようだった。ツアーのなかに、地元有力不動産企業や青年会の有力者がいたのはそのため、パブリックインボルブメントの初動だったのだ
森氏曰く、
「水戸芸は開館以来十数年で、おそらく現代美術の世界ではしっかりした地盤をつくってきたと思う。次の10年は水戸という都市に向かって作用していく時だと思っている。そういう意味で、新しいフェーズを迎えようとしているんだ」
この言葉を聞きながら、現代美術というもの、いや芸術というものは10年単位のスパンで考え、定着させていくものなのだということを痛切に思った。逆にそのスパンに耐えてこそ存在意義が発生する。たぶん、試行の途中ではなかなか見えてこない。キュレーターっていう仕事は、今をつかみながら10年という時間とも格闘することだったんだ・・・、ちょっと感動。
時は人を呼び、そして人は現実を連れてくる。
折りしも水戸芸には新しいキュレーターがやってきた。そして、その二人とは以前まったく違う文脈で、僕は出会っていた。
高橋瑞木さんは森ビルのTHINK ZONEで出会った。森アートセンターを立ち上げたメンバーの一人だ。六本木のど真ん中で、華やかなパーティーの会場で、たぶん始めて出会った。彼女はそこで大きな仕事を終えて水戸芸にやってきた。
窪田研二さんは床屋が一緒だった。上野の森美術館で『谷中アートリンク』を仕掛けた張本人だ。銀行員から現代美術のキュレーターという転身が気になっていた。『A』の創刊の頃、友人の紹介で出会い、床屋で再会し、昨年は骨董通りのスタバでまたしても偶然再会した。今日は、なぜか水戸のスタバでまた会った。
窪田さんは『谷中アートリンク』でアートを街に開放していくプロセスを実践した。金融業界経験者なので不動産企業との会話の仕方は自然と知っている。高橋さんは森ビルから。そこはまがりなりにも超大手不動産企業で、都市との関係を意識しないではいられない環境だった。
僕の森司のイメージといえば、その文章と企画からキレキレのファインキュレーターだったのだけど、本物はある意味キレキレだったけど、想像よりもはるかにファンキーだった。そして水戸に十数年、その間に蓄積したネットワークの厚さがあった。
この三人が揃ったところで、水戸という街をフィールドにした現代美術を展開しようとしていることは、とても自然に思えた。
この夜、僕は東京行きの終電ギリギリまで駅近くの酒場で、ツアー参加者の面々と飲んでいた。事実上の企画会議だったのだと思う。さまざまなことが企まれていて、そしてその内容がおもしろすぎるのですぐにでも書きたいのだけど、それは水戸芸からの正式発表を待つのみ。それは街のいたるところに、ただアートが並んでいるというようなものではなく、より現象としての展開力を持つもの。
なぁんて、もったいぶってるけど、書きテッー!
『A』 vol.15
「編集長日記」といいながら、諸事情あった上に『R』なんかに熱を入れ過ぎて、なかなか『A』が出せないでいたんですが、やっと再始動。次の日記はそれを中心にしたいと思っている。
まだパイロット版ではあるのだけど、今度の『A』は編集プロセスの一部を公開しつつ、開放系でいってみようと思っている。
そもそも、新しい実験をするためにつくり始めた雑誌なので、あくまで乱暴な問題的で無謀にいってみる。まあ、そうじゃないと存在意義もないしね。
1968年、僕の生まれた年に『Whole Earth Catalogue』という伝説的な雑誌が生まれている。この一冊は、それからあらゆる文化にボディブローのように効いて、時代の要所要所に登場することになるのだが、そのスピリットと構造をアナロジーにしようと思っている。
試行錯誤しながら、つくりはじめた。
*こちらの記事はWEBマガジン「REAL TOKYO」に「水戸でもR?」というタイトルで掲載された記事です。
(文=馬場正尊)