道頓堀角座

道頓堀角座

時期:2013.7

所在地:大阪府大阪市

クライアント:松竹芸能株式会社

規模:劇場棟 S造地上2階建て、飲食棟 S造地上1階建て

用途:劇場、店舗、オフィス

建築面積:劇場棟 313.16㎡、飲食棟 233.39㎡

延床面積:劇場棟 453.50㎡、飲食棟 233.39㎡

この劇場は、松竹芸能の演芸場、スクール、本社オフィス機能を兼ねた複合施設である。この劇場のある道頓堀通りを中心とした道頓堀工リアにはたくさんの人が歩いてはいるが、文化の空洞化が着々と進んでいた。
江戸時代から道頓堀は上方演芸の中心で、芝居小屋が5つ並び「五座」と呼ばれていた。その中で角座は1970年代には1,000人以上の客席を有す、まさに大阪の演芸と笑いの殿堂のような場所だった。エンタテイメントの変遷と共に、角座という名所を引き継ぐ映画館として運営を続けていたが、2008年に解体され空地となっていた。この頃から、通りには安売り店かパチンコ、ゲーセン、カラオケボックスなど人の介在性が薄い機械が運宮するテナントが増えていった。

この状況に危機感を抱いていた人びとはたくさんいただろう。そんな中、かつて角座を運営していた松竹芸能が上方演芸の復興を目指し、この空地を劇場として暫定利用する話が持ち上がった。仮設・角座の復活である。
同じ筋の西には、吉本興業の「道頓掘ZAZA」がある。筋の両端で演芸の核ができることにより、再び文化エリアとしての空気を呼び戻せるか。
道頓堀と上方演芸の復興に並々ならぬ思いを抱く松竹芸能は、大阪本社を劇場と一体化させることを思いつき、さらに若手育成のスクールも劇場と併設させることになった。マネジメン卜の場、インキューベションの場、プレゼンテーションの場を1力所にまとめてしまったわけだ。現場主義の空間がどんな成果を生むか、働く場としても興味深い。

新しい角座の特徴は街にオープンであるということ。劇場の中をガラス張りにして外から見えるようにした。劇場の活気や気配が街ににじみ出るようになっている。芸人たちがリハをしていたり、スタッフが舞台を建て込む様子が垣間見え、今まさに始まろうとする芝居を予感させる。舞台が跳ねた後は,観客と共に余韻が広場に漏れ出る。ブラックボックスではなく、あえて街との精神距離が近い劇場とした。劇場空間には独特の色気のようなものがあって、それは映像ではなかなか伝わらない、テレビの中に収まっていては感じ取れない緊張感や臨場感を広場にたたずむ人びとに伝える工夫である。

5年間のテンポラリーな劇場なので建設費は削ぎ落としていく必要があった。劇場の基本構造は工場で用いるような鉄骨システム、その中に木造で客席や舞台を組み上げるというシンプルな方法を選択した。ホワイエをつくる予算はなかったので、劇場を敷地の奥にセットバックし前面に広場をつくり、この青空の空地をホワイエと捉えることにした。

この広場も劇場と同じように街に開かれている。
「パブリックに閲かれた空地」という意昧では公開空地に似ている。しかしここは都市計画法上の「公開空地」ではなく、私有の空地を勝手にパブリック化した広場である。
行政が管理する空間を公共空間/パブリックスペースと捉えることの多い日本では、どうしても管理する側の理論で空間がつくられがちになる。使用する側が主体となる私有のパブリックスペースは、この街にどう作用し、そこを使う人びとによって空間はどう育つのか。

このプロジェクトでは、空間を生産するという行動がプロジェクトへのコミットメントを連鎖的に引き起こすのを目の当たりにした。そこにはもちろん松竹芸能のネットワークや呼びかけもあったが、同時に上方演芸の復興を願う関西共通の思いへの共鳴があったように思う。空間は欲望を顕在化させ、ドライブさせる装置であると改めて感じる。
角座と広場は日々、試行錯誤の中で5年間姿を変えてゆきそうだ。それは生きた空間である証であり、街の変化のきっかけでもある。その変化を見届けたい。

<『新建築』2013年10月号より抜粋>