大友克洋GENGA展の衝撃

2012.7.31

2012年の4月、Open Aは大友克洋GENGA展の空間設計を行った。会場は「アーツ千代田3331」。そのときの衝撃は忘れられない。

 

『AKIRA』の原画約3000点を始めとして、大友克洋の原画を可能な限りすべて見せる、という企画。大友克洋は東日本大震災の被災地、宮城県で少年時代を過ごしている。そのチャリティーとしてこの展覧会は開催された。このような特別な機会がなければアトリエのなかに眠ったままだったかもしれない貴重な絵の数々。

その迫力はちょっと言葉では表現しにくい。一人の人間の頭のなかに、これだけ細密で深い世界が存在していることだけでも不思議なのに、それがすべて手で描いているのだ。圧倒的な物量とクオリティの前で、僕を含めすべての人は「す、すごい・・・。ヤ、ヤバイ・・・」とつぶやくのがやっと。微妙なインクの盛り上がり、繊細な線の密度、修正の箇所はほとんど見当たらず、複雑な絵が一気に描かれているのが伝わってくる。こんな緊張感が漂う展覧会は初めてだ。

オープニングレセプションのとき、事件が起きた。

会場の最後の部屋に、来場者が落書きできるような大きな壁をキャンバスとして用意していた。レセプションが終わりに近づいたとき、ペンを持った大友克洋が、突然サラサラと壁に絵を描き始めたのだ。何のためらいもない線が高速に動く。目の前で見ると衝撃的な風景だ。

描き終えた大友克洋は目の前にいた男性にそのペンをポンッと手渡した。「次は、きみの番だよ」という感じで。渡されたほうはたまったものではない。彼は少しとまどいながら、いつの間にか壁の前に押し出されていた。次の瞬間、会場が一瞬、「えっ!」という空気に包まれた。スラスラと描かれていく絵が見慣れたタッチであることに気がつくのに多くの時間はかからなかった。浦沢直樹だった。どよめいている会場をよそに、ペンは次の人に手渡される。同じように壁には新しい絵が描かれた。松本大洋だった。次々にペンのリレーは続いた。井上武彦、貞本義行、吉田戦車まで。「ぜ、全部いる・・・」。大友克洋がどれほど漫画界で尊敬されているのかがわかる。

漫画家の場合、作品はわかっていても作者の顔はわかっていないことが多い。だから絵を描き始めるまでは誰だかわからない。どちらかというと地味で存在感を発しない人が多かった。しかしペンから繰り出される絵と一緒になると、まとう

空気が一変する。結局、できあがったのは、現代の日本の漫画界を切り取った断面。奇跡の瞬間に居合せることができて幸せだった。

今、日本のクリエイティビティの極みは漫画に集まっているのではないだろうか。もっともアバンギャリドで、もっともポピュラーな芸術世界がそこにある。

物語性の強さ、それが生み出す経済性、そして読み人の数と結果的にもたらされる社会への浸透性。どれをとってもピカイチの芸術だ。

この展覧会のデザインをする作業の中で気がついたことがある。大友克洋の原画は50年後は重要文化財級かもしれない。しかしそれは、アトリエの片隅のダンボール箱に無造作に積み重ねられていた。漫画家にとってそれは最終成果物ではなく、印刷され複製された雑誌こそが作品。しかしその肉筆の原画は一級の芸術品としての価値がある。その行き先は? まさか再びダンボールのなかに戻るのか。このままでは浮世絵の二の舞だ。

しかし、すごい展覧会だった・・・。